この世界は残酷だ…そして…とても美しい 。
──ミカサ・アッカーマン。

皆さん、うさぎサブカル哲学へようこそ。
今日は久しぶりにサブカル哲学をお送りします。サブカル第三弾は、先日コミック最終巻が発売になった「進撃の巨人」からヒロインのミカサ・アッカーマンの台詞をピックアップして哲学をして行きたいと思います。
この台詞こそが「進撃の巨人」という作品のテーマそのものだと感じて読んでいた人はきっと私だけではない筈!!そして最終巻の加筆ページを経てそれは証明されると同時に、それは「進撃の巨人」という作品と私達の生きる世界を繋げる言葉へとその意味を変えたのでした。
それでは、うさぎサブカル哲学「進撃の巨人」編、スタートです。
※この記事にはネタバレと個人の見解が多く含まれています。アニメ派の方やこの記事を読むことで作品を純粋に楽しむことが出来ないと思う方はここで読むのを止めてお戻りください。

この世界は残酷だ…そして…とても美しい 。
進撃の巨人の世界観については最早説明不要とは思いますが、簡単に説明すると、人類は突如出現した「巨人」により滅亡の淵に立たされた世界。その世界の中で生き残った人類は巨大な三重の城壁の内側に生活圏を確保することで100年の間、辛うじてその命脈を保っていた。そんな人類が巨人という脅威と向き合いながら抗い活路を模索し戦って行くという物語です。
有名な台詞と言えば、主人公エレン・イェーガーの「駆逐してやる」なんかがありますが、この台詞は進撃の巨人を知らない人でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。この台詞もこの台詞で凄く深い哲学要素を含んでいる言葉なのですが、それについてはまた後日に紐解いてみたいと思います。
エレンは一旦置いておいて、先ずはミカサについて語るのがファンとしての務めでもあります。「この世界は残酷だ…そして…とても美しい 」という言葉をミカサが口にしたのは物語の序盤、自身とエレンの幼少期の出会いを振り返るシーンにまで遡ります。

生と死が隣り合わせに描かれて来たこの作品では、常に二律背反の考えがそこにはあります。正義の裏にはもう一つの正義「悪」があり、平和の裏には人の欲望「争い」があるように、この世界は表裏一体で成り立っているという諫山先生の人生哲学が色濃く投影されています。
巨人という圧倒的脅威である困難を目の前に、キミ達なら一体どうする?
そんな極論的な例えを持って、問いは私達にも投げかけられます。そして、その問いの答えこそが今回選んだミカサの台詞「この世界は残酷だ…そして…とても美しい 」なのではないかと思ったのはコミック二巻での事でした。
こんな初期段階でもう答えを?
私にとって結論を先に述べる。ような物語構成はこれから先、その答えを「証明」する為に実に三十二巻を費やすこととなります。

その中で沢山の出来事がありました。受け取ったもの、伝えたいことも沢山あります。ですが、それは皆さん自身が実際に触れて感じて欲しいと思っているので、ここではこれ以上詳しく内容に触れるような事はしません。
ただ一つ、この物語の中で彼女達は確かに「生きていた」それだけは自信を持って言えます。それ程までに圧倒的な人物描写が進撃の巨人にはありました。
そして、話数を積み重ねる事139話目において進撃の巨人はその物語に幕を下ろします。その最終話の終わり方は私の予想とは大きく異なり、諫山先生は最後にはっきりとした明確な「答え」を述べずに一枚の絵に全てを託す形でそれを描写します。

ここまで進撃の巨人を読んで来た人達にとって、この絵に何を重ね何を想うのかは千差万別だと思います。でも、それで良いというメッセージがそこにはありました。希望のようにも見えれば、枷を負ってしまったようにも見えるこの一枚の絵は私達にあらゆる感情を抱かせるものでした。
とは言え、それが良いのか、悪いのか、正しいのか、間違っているのか、というよりも本当に終わったんだなという寂しさの中にも何とも言えない清々しい読了感がそこにはありました。そんな私の元に先日コミック最終巻が届きます。もう一度、このラストに触れる為に細かい修正点に一喜一憂しながら読み進めて行くこと最後のシーンで、それは起こりました。
加筆、最後の8ページ。
そう、進撃の巨人にはまだ続きがあったんです。

是非その衝撃のラストは皆さん自身で確かめて欲しいので今回、絵は載せません。ですが、簡単に説明するとそこに描かれていたのはその後の「世界」の事でした。
ミカサが座るこの一本の「約束の木」から見た景色と共に世界が描かれて行きます。景色の変化と共にとても長い時間を場面場面で切り取った描写、ミカサのその後の人生や人類の変化も描かれて行きます。そして正真正銘のラストのページは、正にこれぞ進撃の巨人と呼ぶに相応しいものでした。
連載当時のラストが「答え」を出さずに終わったのに対し、コミック最終巻のラストでは「答え」を示した上で、更に「問い」を残して終わりを告げます。そうして辿り着いた一つの答え、それはあの日、ミカサから私達に届けられた言葉そのものでした。
「この世界は残酷だ…そして…とても美しい 」

この世界は二律背反、表裏一体で出来ています。生があればそこに死があるように、残酷な世界にも美しさは必ず存在しています。
例えばそれを「愛」と呼んだり「自由」と呼ぶようにです。
私達の生きる現実世界も同じです。日々戦いの中に身を投じているような現代において、大切なのはどこに目を向けるかです。そこにある世界の美しさに気づけるか気づけないかは私達自身にかかっています。
そしてそれはまたその逆も然りです。美しさの隣りには必ず残酷があります。いつだって私達は誰かや何かの犠牲の上に立っているという事を忘れてはいけません。
その上で、だからこそ私達は今を全力で生きて行く。ということを、この「進撃の巨人」という作品は長きに渡り私達に教えてくれたのでした。
P.S.
コミック最終巻、最終話を読んで改めて思う事が一つだけあります。
数ある歴代作品の中でも個人的に群を抜いて1番だと思っている第一話のタイトル「二千年後のキミへ」についてです。
これって、「ある人」からエレンに向けられた言葉だというのが今ある一般的解釈だとは思いますが、もしかしてこれってエレンから「二千年後のキミ」に向けられた言葉だったとしたら?
そう考えてみたら、とてもロマンがあって素敵なことだなって感動した兎禾でした。
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コメント
この世界は残酷
今より100年前は、もっと残酷な時代だったと思います。
でもその中で人々は幸せを見つけ、より良い時代にする為に生きていました。
その土台があっても、まだまだ残酷な世界と人々は言うのでしょう。
それでも世界に美しさを見つけ出す人間は、とても素晴らしくて尊い存在だと思います。
昨日より今日、今日より明日を生きていくために、これから生まれ来る人々のために、
私達は幸せを探して生きるのでしょうね。
はい。本当にその通りだと思います。
その土台の上に今があるのに私達は時間と共にその重みを失って行く。また同じ過ちを繰り返す。とてもそれは人間的で愚かな行為だけれど、それなら今を「あたりまえ」と簡単に片付けるのではなく疑ってみなければいけませんよね。
人伝てに伝えられる言葉だけでは実感出来なくなる。悲しいけどそれが現実かもしれません。そういう意味では漫画やアニメなんかはそれを相手に実感させる手段で最も効果的と言える気がします。
Lakmaさんが言うように、私達人間はどんな時でも美しさを見出せる。とても魅力的な生き物だと私も思います。