出来るさ。僕は世の中のこと全てを忘れて暮らせたらどんなにいいかと思ってるんだ。

うさぎサブカル哲学

出来るさ。僕は世の中のこと全てを忘れて暮らせたらどんなにいいかと思ってるんだ。

──スナフキン。

皆さん、うさぎサブカル哲学へようこそ

今回から不定期ですがうさぎサブカル哲学と題しまして、普段の哲学者や偉人達の言葉ではなく、音楽、アニメ、映画、様々なジャンルのサブカルチャーを基に哲学を学んで行きたいと思います。

サブカル哲学をやろうと思ったきっかけは単純にGW企画のウマ娘哲学が好評だったからというのと、私の特技というか趣味が、あらゆるものから哲学を学ぶことだからです(笑)

その記念すべきサブカル哲学第一回目は、私の好きな童話「ムーミン」に登場する旅する吟遊詩人、スナフキンさん!!

彼はその存在自体が哲学と言っても良いような人物で、私も大変影響を受けた人物の一人ですし、おそらく今後も多く取り上げて行く事になると思います。ということで、うさぎ哲学、サブカル編いよいよスタートです!!

僕は世の中のこと全てを忘れて暮らせたらどんなにいいかと思ってるんだ。

スナフキンさんは言います。私達に向かい出来るさ、と。

スナフキンさんは言います。世の中のこと全てを忘れて暮らせたらどんなにいいかと。

スナフキンさんは言います。自らを引き合いに私達にとっての希望の言葉を。

例えば、私達はこの世界で何かを手にする度に、沢山の思い出を心に刻みながら生きています。良い思い出も悪い思い出も、そのどちらか片方だけではなく、そのどちらも同じくらいの思い出としてこの心に刻まれています。

ですがいつからでしょうか、私達はそんな思い出を大切に思うあまりに今と昔を比べるようになってしまいました。時として思い出とは自身の都合の良いように美化されるものです。そんな美しい思い出は、私達に今という瞬間の大切さを忘れさせてしまいます。

あの時は良かったな、とか。 あの時もダメだったな、とか。

泥臭い今と美しい思い出を天秤にかければ、その釣り合いがどうなるかは一目瞭然ですよね。だから余計に不安になるし、余計に動けなくなる。本来、思い出とは私達にとっての支えにはなっても、決して今を苦しめる為に存在している訳ではないのにです。

出来るさ。僕は世の中のこと全てを忘れて暮らせたらどんなにいいかと思ってるんだ。

そして世界を旅する吟遊詩人、スナフキンさんはそんな世の中の全てを忘れることなんて出来ないと知っているからこそ、世の中の全てを忘れられたらと言葉にします。そうする事が自由をここに描く唯一の方法だと知っているからです。それは心にこの瞬間にその存在を、です。如何にも自由を求め生き続けるスナフキンさんらしい行動ですよね。

そしてその言葉を以ってして、スナフキンさんは更に私達の心に訴えます。ともすれば、キミのやりたい事なんて可能性でしかないじゃないか、とです。

忘れる事が出来ないのが世の常ならば、過去もまた同じように消せないもの。でも、そんな私達は今に生きていて、その先にある未来を想い歩く事が出来る。だから、まだ何も決まっていない私達の未来は希望、可能性でしかないのです。

本当にそうなの?

なんて考えるのは今日はやめておきましょう。だって私達のスナフキンさんがそう言っているんですから、もうそれで十分なんです。ですので、やりましょう。あとは私達がやるだけでそれは証明されるんですから。

というように、時に言葉とは、その言葉の持つ純粋な意味以上に、何を言うかではなく、誰が言うかの方が大きな意味を持つものです。扱う人の力によってその力は示され受け取る人によってそのかたちは作られるものです。

それは同時にこうも言えるという裏付けにもなります。だから言葉とは既に純粋なものではなく、過去も同じように純粋なものではないとすれば、言葉や過去で真理を語る事はもう不可能で、人という存在こそがそれを唯一証明出来る存在だとです。

そしてその存在とは今を生きる私達です。今この瞬間に足跡を残し行動することが出来る私達は、そこに新しい答えだって描くことが出来るかもしれないし、ましてや今や未来に絶望する必要も全くありません。

出来るさ。僕は世の中のこと全てを忘れて暮らせたらどんなにいいかと思ってるんだ

どんなに強く願っても叶えられない自分の願いに比べたら、歩く事はそんなに難しくないことなんだよと、スナフキンさんは私達にそう教えてくれたのかもしれませんね。

不思議なことに、全てはその人次第でしかないんだよ。──兎禾。

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