愛は支配しない、愛は育てる。
──ゲーテ。
愛はどちらか片方が支配するものではなく、二人で育てるものだという意味の言葉です。

皆さん、学べるうさぎ哲学へようこそ。
うさぎ哲学、それはただの哲学ではありません。ここは名だたる哲学者や偉人達の残してくれた哲学や名言を基に、今の時代を生きるうさぎがその言葉を噛み砕き新たにアップデートして「使える哲学」を綴り呟く場所です。
そして今回の哲学は「愛」についてです。一言で愛と言ってもそのかたちは様々ですよね。その中でも今日は皆さんも大好きな恋愛の「愛」について考えてみたいと思います。では、うさぎ哲学スタートです。

愛は支配しない、愛は育てる。
例えば恋と愛。それを言葉で説明しろと言われれば、恋とは自分の気持ち先行の想いの事で、見返りを求めるもの。愛とは相手の気持ちを思いやる事で、見返りを求めないものです。
更にその特性に注目するなら、恋とは恋愛感情に基づいた感情であるのに対し、愛とは恋愛感情に留まる事のない広い意味での感情でもあります。
自分が辛い時や苦しい時に側に居てくれる人とか、自分の子供に接している時とか、先生や上司に怒られている時にすら愛というのはそこに存在したりしているものです。
ですが今回のゲーテさんの言う、愛は支配しない、愛は育てる。というのは勿論恋愛の事についてですので、今日は恋愛に絞った愛について考えてみたいと思います。

では一体、愛とは何か?
と、考えた時、愛にはそもそも明確な答えなどないのではないか?という考えが私の脳裏を過ります。何故ならそこに居るのは全て違う人と人で、仮に愛を統計的に論じる事は可能かもしれませんが、愛のかたちは人それぞれにあって然るべきものであり、その人達で作り上げたその人達にとっての愛が、その人達の愛のかたちだからです。
限りなく似ているものはあったとしても、たったの一つも同じものはこの世界に存在しないもの、そこに明確な一つの答えなどは存在し得ないものが愛で、だからそんな愛を言葉にするなら。
愛は支配しない、愛は育てる。
という言葉になのだと思います。それが慈愛なのか、寵愛なのか、情愛なのかはわかりません。ですが、そのどれもが誰かに当てはまり得る可能性があるならば、考えなければいけないのはその明確な答えの方ではなく、答えを導く公式こそがその答えということです。
愛の公式、それを私は組み立てます。

先程も述べたように愛とは人の数だけあるものならば、愛とは誰か相手がいて初めて成り立つものです。ともすれば、そこに愛を成立させる為にはどちらか片方ではなく、双方の想いが必要ということになります。
そして人とはそれぞれ違う考え方を持つ生き物ですので、相手を思いやるだけではそれは足りなく、相手に委ねるだけでもそれは足りないもの。つまり愛とは二人で育みかたち作らなければ成立しないものです。
それを人は折り合い、落とし所、と表現したりもしますが、相手を思いやる自分がいるように、自分を思いやる自分がいてこそ、愛はそこに成り立つということです。ですのでそれを公式に置き換えるなら。
1+1=1。
それが愛なのだと私は思います。支配でもなければ依存でもない。私でもなければあなたでもない。一人ではなく二人で育み作り上げる新しい1こそが、愛の答えなのではないでしょうか。
あなたにとっての愛とは一体何ですか?──兎禾。
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