言論が堕落したところでは精神も堕落している。─はい、堕落、堕落、堕落。

うさぎ哲学
illustration of a Seneca the Younger (c. 4 BC – AD 65), fully Lucius Annaeus Seneca and also known simply as Seneca , was a Roman Stoic philosopher, statesman, dramatist

言論が堕落したところでは精神も堕落している。

──セネカ。

堕落を言葉にした時に心も同時に堕落しているという意味の言葉です。

 

皆さん、うさぎ哲学へようこそ。

うさぎ哲学、それはただの哲学ではありません。ここは名だたる哲学者や偉人達の残してくれた哲学や名言を基に、今の時代を生きるうさぎがその言葉を噛み砕き新たにアップデートして「使える哲学」を綴り呟く場所です。

そんなうさぎ哲学第三弾は堕落について。「堕落」、とても耳が痛くなるような題材ですが、今日はセネカさんのお力をお借りしてそんな堕落と真っ正面からぶつかってみたいと思います。では、うさぎ哲学スタートです。

illustration of a Seneca the Younger (c. 4 BC – AD 65), fully Lucius Annaeus Seneca and also known simply as Seneca , was a Roman Stoic philosopher, statesman, dramatist

言論が堕落したところでは精神も堕落している。

それは言論が先か、精神が先か。

私達の心とは言葉と強く引かれ合うように出来ています。無意識下に発せられた一言を追いかけるように、心はいつしかそれに追いつきます。そんな無意識に発せられた言葉を深層心理の呟きだと言えば、それは精神が常に先にあると示唆する要因になりますよね。

ですので、そんな精神を先ずは私達は整えよう、という事ではなく、だから完全にはコントロール出来ないのが私達にとっての精神だということです。

仮に強い意識を持って精神をコントロール出来たとして、それでも寒いからやる気が起きなくて、つい「ダルい」と言ってしまう。それが人間という生き物です。

ですので、精神を完全にコントロールしろというのは少し酷で非現実的なこと。必要なのはもっと現実的な意見、だからそんな時どうする?という後天的な対処法だと私は考えます。

そしてその対処法があるとするなら、それは逆説です。

ですがただの逆説では意味がありません。ここで重要になるのが言論と行動、二つの行為を有した逆説が必要だということです。

言論が堕落したところでは精神も堕落している。

この言葉の意味は皆さんも自身の行動を通して既にある程度イメージ出来ていることと思います。本当に不思議なものなのですが、この言葉が成立するのなら堕落の反対である更生もこの理に当てはまらなければいけないのに、それは成立しません。

堕落は言葉をも持って心を強く引くのに対して。

更生は言葉だけでは心を引き上げれないということです。

皆さんにもご経験があると思います。やるぞ、と宣言してもその効力は瞬間的で、逆に負の力、ネガティヴというのはいつまでもまとわりつく程に強力なんですよね。ですので、ここはその「瞬間」を利用します。

その一瞬のやる気に乗って行動をする、です。人は行動を続けたいと思う本能を持っています。途中でやめるのがなんか嫌、みたいなのがそれですね。それと同じくらい手応えというものにも強く心は反応します。やってみたらノッて来た、みたいなのがそれですね。

ですので、堕落と対峙しなければいけない時は、先ずは言葉を変えて、その瞬間に乗って行動し、そこに生まれた波にノる。それが一番現実的で且つ効果的です。

そうする事で心はいつの間にか「その気」になって、勝手に更生するんです。

一手間、二手間、堕落より工数が多いのは解せないですが、それで戦えるならやる価値はあると思いませんか?

言論が堕落したところでは精神も堕落している。

それならば、迎え撃つまで。そんな気概を持って一つ一つ乗り越えて行ければ。自然と無理なく自分と付き合っていけると私は思います。

言論の自由を持って私は堕落と対峙する。──兎禾。

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