問いを持った部族は生き残ったが、答えを持った部族は滅びた。─あの日、民族を滅ぼした答えはこれでした。

うさぎ哲学

問いを持った部族は生き残ったが、答えを持った部族は滅びた。

──ネイティブ・アメリカンの諺。

人は立ち止まった時点で衰退するという意味の言葉です。

 

皆さん、うさぎ哲学へようこそ。

うさぎ哲学、それはただの哲学ではありません。ここは名だたる哲学者や偉人達の残してくれた哲学や名言を基に、今の時代を生きるうさぎがその言葉を噛み砕き新たにアップデートして「本当に使える哲学」を綴り呟く場所です。

今回の哲学はネイティブ・アメリカンの諺から「答え」について考えてみようと思います。「答え」それを紐解く先で待っている答えとは一体何なのでしょう?それでは、うさぎ哲学スタートです。

問いを持った部族は生き残ったが、答えを持った部族は滅びた。

私達人間にとって、答えとは一体何なのでしょうか?日々哲学を紐解き答えを探し求める中で私が思うことです。

真理とはありのままの姿です。山は山で、鳥は鳥、兎は兎で、人は人。時間は流れ、時は戻せず、歳も取れば、私達はいつか死にます。そんな絶対的な真理とは別に、私達人間はそれぞれの答えを持っています。

それぞれの答え。

それは酷く人間的な考え方であるのに対し、それは絶対になくならないもの。決して一つにはなり得ない人間という生き物の持つ答え。人間、という真理です。

大きな流れの中でそれを表現するなら、それは時代、です。変わる価値観も、倫理観も、変わらない礎の上に築き上げた人類の叡智の結晶です。それは一重に私達人間が変わり続ける生き物であるということを示していて。いつかと今は違う考え方をしていたり、感じ方さえも変化しているのがその証拠です。
 
ともすれば、そこには既に変わらない真理なんてものはある筈もなく、あるのは変わり続けるという真理から遠く離れて行く真理だけです。

それが果たして悪いことなのかと聞かれれば、愚かだと思う一方で、それで良いとも思う私が居ます。だから私達はここに居る、そんな風にも思うのです。

そして、だから哲学を通しこうして真理を求め続けているのだとも。

ですので、日々哲学を紐解き答えを見出したとして、決してそれはそこで終わりではないということです。何度だって恋をするみたいに、何度だって問いかけます。私達は答えを一つだけ持つのが下手で、それぞれが違う答えを持つ生き物だからです。

その結果、だからぶつかるし、だから生み出せる。結局は答えなど何処にもないという答えがそこにはあります。

問いを持った部族は生き残ったが、答えを持った部族は滅びた。

変わるのが人で、変わって行くのが時代なら、持つべきものは答えではなく、問いの方だという答え。歩みを止めた先、平穏を手にした人間の末路が滅びなら、私達人間にとって平穏とは求め続けることで初めてそこに描けるものなのではないでしょうか。

時に人は心の支えに「私の答えはこうだ」と持ったりするものです。確かににそれはそれで良いことだと思います。ですがその答えに固執する余り、それが原因で心を折る人も沢山います。
 
人は変わる生き物で変わってしまうのが人間です。

そんな私達の持つ本当の強さとは固い意志ではなく、柔らかな心です。ですので、どうかいつまでも変わり続けてください。それを意志が弱いというのなら、それは間違いです。

諦めないを諦めてください。

どんな時も意思(答え)より、問い(思考)を。柔らかで広い水の心に石を投げ入れれば世界はその姿を変えて行くのだから。

私の答えはこうだと、決めつけるのが覚悟じゃないんだよ。──兎禾。

コメント

タイトルとURLをコピーしました