幸福は弱く 不幸は強い。
──志賀直哉。
例えば、五つの幸福よりも、一つの不幸の方が強いという意味の言葉です。

皆さん、うさぎ哲学へようこそ。
うさぎ哲学、それはただの哲学ではありません。ここは名だたる哲学者や偉人達の残してくれた哲学や名言を基に、今の時代を生きるうさぎがその言葉を噛み砕き新たにアップデートして「使える哲学」を綴り呟く場所です。
今回は幸福と不幸、その「重さ」について考えてみたいと思います。そのバランスは果たして保たれるものなのか、そうではないのか、とても興味が沸いて来るところですよね。ということで、本日もうさぎ哲学スタートです。

幸福は弱く 不幸は強い。
志賀直哉先生のこの言葉を念頭に今までの時間を思い返してみれば、果たして私達は幸福と不幸どちらを多く感じて生きて来たのでしょうか?
この問いに迷わず「幸福」と答える人もいるとは思いますが、きっと多くの人は先ず「不幸」をイメージしたのではないでしょうか。というように、そんな風に思い描いてしまう程に私達のイメージは既に不幸に囚われていると言っても過言ではありません。
それは、私達が人間という生き物だという以上に、物理的に無理なのだという現実がそこには存在していました。

私達の生きるこの競争社会において、優劣をつける機会が非常に多いのは皆さんも周知の事実です。常にと言って良い程にいつも誰かと比べられたり、順位を付けられては、その度に少なからず劣等感を感じ敗北感に苛まれてしまっています。
それはそうですよね。1番にならない限り上には上が必ずいるのですから。そういう意味で言えば、基本的に全ての人は敗北者という立ち位置に立つ事となります。そう自身が「思う」、「思わない」とは関係なく、ただの事実としてそうあるという現実です。
その結果、気づかぬ内に私達はそれをあたりまえと思うようになり、私達の脳内イメージに色濃く反映して作用し始めます。本来「幸福」である筈の出来事の中にでさえ「不幸」を探して見つけたり、挙句の果てには「不幸」の方にばかり気を取られ目を向けるようになってしまうのです。

それとは別に。
私達人間には本能的に「危機回避をする為」に悪い事を想像するという特性があります。この「危機回避をする」という先天的な「悪い事を想像する力」を、後天的な「悪いところを探す力」を持って掛け算すれば答えは自ずと導き出されますよね。
幸福は弱く、不幸は強い。です。

この世界は二律背反の世界、表裏一体で出来ています。
幸福の裏には不幸があって、不幸の裏には幸福があります。
ともすれば本来、幸福と不幸の数は等しくなければいけないのに対し、現代の競争社会において、少なくとも体感では必ずしもそうでないのが現実です。
先述した通り、この競争社会において勝ち続ける程に難しいものはありません。ですので、負ける方が多くてあたりまえなんです。
そう、負けてあたりまえ。それが答えです。

ですので、別に珍しいものでも特別なものでもないもの、それが不幸というものです。ここまで来ればそれはもう日常茶飯事な出来事で、そうであればそんな大した事なんかじゃありません。不幸が溢れ返る程に溢れているこの世界の上で、もうこれ以上、必要ない不幸を探して必要以上に大きくするのは止めにしませんか?
幸福は幸福で、不幸は不幸、です。
望んでも、望まなくても、不幸はこれからも向こうから沢山訪れて来ます。だったらもうその不幸をありのまま受け止めてあげるだけで私達は精一杯なんです。
でも、一つだけ忘れないでいて下さい。

この世界は二面性で出来ています。
幸福の裏には不幸があって、不幸の裏には幸福があります。
今まで「幸福」の中に「不幸」を探していたように、それなら私達は「不幸」の中にある「幸福」に目を向けて探し出す事だって出来る筈です。
先天的な「悪い事を想像する力」を、後天的な「良いものを探す力」を持って掛け算すれば、それはもう失敗は成功のもとと呼ぶ事が出来るのだから。
ピンチはチャンスで、チャンスはチャンス!!──兎禾。
コメント
不幸に目を向ける
幸せに目を向ける
目を閉じて
「今から青色を探してください」
と言われて目を開けると
不思議と青色以外は目に入らなくなります
他にもたくさん色はあるのに
不幸と幸せの関係もそんな感じなのかもしれないですね
何にフォーカスするかですね
★Lakma★さんへ。
確かにそうですね。
何にフォーカスさせるか、それを意識的にコントロールする事が出来れば良いですよね。
無意識で暗い色を探してしまっている自分がいた時は私も気をつけなければと思いました。
ありがとうございます♪