冬来りなば、春遠からじ。
──シェリー。
つらい時期を耐え抜けば、幸せな時期は必ず来るという意味の言葉です。

皆さん、うさぎ哲学へようこそ。
うさぎ哲学、それはただの哲学ではありません。ここは名だたる哲学者や偉人達の残してくれた哲学や名言を基に、今の時代を生きるうさぎがその言葉を噛み砕き新たにアップデートして「使える哲学」を綴り呟く場所です。
今日はあの「フランケンシュタイン」の著書でもある、メアリー・シェリーさんの言葉を基に「心」について少し紐解いてみたいと思います。そして、今回私達はその先でそこに「心の四季」を見ることとなるのでした。では、うさぎ哲学スタートです。

冬来りなば、春遠からじ。
この言葉が示す通り季節は巡り冬は終わりやがて春が訪れます。それは誰もが知っていることです。それを私達の心に置き換え例えるなら、同じようにつらく苦しい時期もやがて終わり幸せが訪れるということになります。
確かに、それはその通りだと私も思います。ですがその一方で、季節に私達の心を置き換えたように、私達の心を季節に置き換えてみたらどうなるかと私は思うんです。
実際に厳しい冬の寒さを目の当たりにした時、私達はやがて訪れる春ではなく、今目の前にある厳しい現実だけに目を向けてしまうことでしょう。

あたりまえですよね。
今この瞬間に春などは存在しなく。冬の寒さをどう耐え凌ぐかこそが一番重要で、それが今やらなければいけないことだと私達は本能で理解しているからです。
例えばそれと同じ事が自身の心の中で起きていたらどうでしょう?
心の冬です。
心の感情を四季に例えるとするならば、冒頭でシェリーさんが言ったように現実と同じく季節は巡りやがて春が訪れます。そしてもしも心が冬の寒さに晒された時やらなければいけないことは、先程と同じく冬の寒さをどう耐え凌ぐかを考え行動する事です。
でも、それはきっと出来ない。そう私は思います。

出来る筈が無いんです。何故ならその対象が自身の内側にある「心」だからです。
心が凍えて震えているのに動ける筈なんてないんです。前向きになれる筈がない。あたりまえですよね。だって人は心に引かれて生きる動物なのだから。
だから、心の冬。その冬を乗り切る為に想像してみませんか?
今ここにある冬ではなく、春の季節に目を向けて、心を一つ先の季節に置いて、そうすればそこに小さな芽がある事に気づけるから。

それなら、この世界には二つの四季があります。
一つは自然の四季で、もう一つは心の四季です。ともすればその向き合い方は同じではなく、自然の四季は今を見つめて、心の四季は未来を見つめる。そうする事で私達はもう一歩前へと踏み出せて、厳しい冬の先にある春に辿り着けるのではないでしょうか。
想像は時に現実よりも現実的な希望の種となる。──兎禾。
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