人として弱いということは、生きていくうえで受けるべき苦しみを自分で受けとろうとしないことだ。─その苦しみは、本当にあなたのものですか?

うさぎ哲学

人として弱いということは、生きていくうえで受けるべき苦しみを自分で受けとろうとしないことだ。──ウィトゲンシュタイン。

人は「正しき苦しみ」以上に、その他の苦しみを背負っているという意味の言葉です。

皆さん、うさぎ哲学へようこそ。

うさぎ哲学、それはただの哲学ではありません。ここは名だたる哲学者や偉人達の残してくれた哲学や名言を基に、今の時代を生きるうさぎがその言葉を噛み砕き新たにアップデートして「使える哲学」を綴り呟く場所です。

本日はウィトゲンシュタインさんの名言から人にとっての「弱さ」について紐解いて行こうと思います。人の弱さとは一体なんなのか?それでは、うさぎ哲学スタートです。

人として弱いということは、生きていくうえで受けるべき苦しみを自分で受けとろうとしないことだ。

それでは、今日は先ず質問から始めさせて下さい。

皆さんは強い人ですか、それとも弱い人ですか?

…………

こう聞かれて、「私は強い!!」と言える人はどれだけいるでしょうか。多分そんなにいないんじゃないかなと私は思います。私自身、周りには強いと言われますが内心、本心ではそう思った事は一度もありません。

誰かと比べてではなく、自分自身を見つめ直す度、私はなんて弱い人間なんだと実感します。……そうなんです。私、根本は凄くネガティブな人間なんですよね。

という突然の衝撃的カミングアウトは横に置いておいて。弱さについてウィトゲンシュタインさんはこう述べています。

人として弱いということは、生きていくうえで受けるべき苦しみを自分で受けとろうとしないことだ。

はい。今日3度目のこの言葉ですね。

この言葉を素直に解釈するなら、受けるべき苦しみを受け取らない自分、つまりは見て見ぬふりをする臆病な行為こそが「弱さ」という事になります。勿論、それが弱さの正体です。自身の受けるべき苦しみを受けないという事は、その先に進む事を放棄していると同じ事ですので、その先に成長はありません。だから自身の弱さと向き合い、臆病にならず立ち向かおうというのが正論。

なのですが、今回のお話はそんな単純な話ではないのです。

大切なのはその苦しみを「受ける受けない」ではなく、現状私達は苦しみを「受け取り過ぎている」ということに気づかなければ先には行けないということなんです。

日頃から私達は大なり小なり何かしらの苦しみを背負いながら生きています。ですが、それを言葉では「責任感」と言ったり「優しさ」と言いながら、本来自分が受けるべき苦しみ以上に「周りの苦しみ」を背負ってしまっています。

その結果、それが重荷になり重圧になって捌き切れずこう思うんですよね。

──あぁ、私ってやっぱり何やってもダメだなぁって。

そこから自己嫌悪、負のスパイラルに陥ると、もっと苦しくなって「自分は弱い」と思い込んでしまうんです。そう「思い込む」です。不思議ですよね、善意という名の元、無意識下の内に私達は必要のない重荷を担いでは不幸に向かって進んでしまっているんです。

多くの人が自分が弱いから苦しむのだと思っている裏側にあるのはそんな思い込みです。弱いから苦しんでるのではありません。苦しむから弱いと裏付けしてしまってるだけなんです。

じゃあ、一体どうすれば良いの?

その答えが、背負うべき苦しみは背負うべき人が背負えば良い私には関係ないです。少し冷たいように聞こえるかもしれませんが、それが私の導き出した答えです。

だからと言って他人を放って置いたりなんかはしませんよ。そういう事ではありません。この事を私のお仕事カウンセリングに置き換えて説明するとこうです。

苦しんでいる人がいたら手を差し伸べるし、一緒に考えるけど、決して答えを出したりはしない。答えはその人自身が見つけるもので、その人自身が苦しみの果てに見つけなければいけないものだからです。

だから、その苦しみを私が背負う事はしないけれど、その重さを軽くするお手伝いは惜しみなく行うということです。

そう思い私が行動する様になって変わった事があります。

それは、その方が解決出来る事が多かった、です。

私が誰かの苦しみを勝手に背負い二人で苦しんでいた時に比べて、私は一歩引いて物事を冷静に判断する事が出来るようになったんです。その結果、今まで以上に解決案をスムーズに提案する事が出来るようにもなりました。

それともう一つ、わかったこともあります。

私が誰かの苦しみを背負っても、その人の苦しみがなくなる訳ではなかったという事です。それは、言うならただの私の自己満足でしかなく、私のやるべき事は一緒に「苦しみを背負う」ことではなく、その人を「苦しみから救う」こと。その為には他人の苦しみを背負ってる余裕なんて実際どこにもありませんでした。

そしてそれは、きっと皆さんにとっても同じく言える事です。

仕事上だったり、人間関係だったり、常日頃に転がっている苦しみ。その苦しみを必要以上に自ら背負おうとしなくて良い、相手の苦しみは相手のもの。

背負わない代わりに、手助けしてあげれば良いんです。

そうする事で自分自身も得体の知れない「弱さ」に苛まれずにいられますし、純粋に自分の「弱さ」とだけ向き合う事が出来るようになります。私達は自身が背負うべき苦しみをしっかりと背負うだけで精一杯なんです。

だから、余計な重荷は背負わない。先ずはそれから始めてみましょう。それだけでも見える世界は大きく変わってくる筈です。

そして、その先で、いつもより軽くなった自分自身と出会えたなら、そこからが本当の勝負です。弱さとは誰かと比べるものではありません。あくまでそれは自分の問題です。周りは一切関係ないです。

ですので、慌てる必要もなければ、焦る必要も全くありません。自分のペースで大丈夫。大切なのは自分の弱さを認め、変わろうと思い、臆病にならず行動すること。し続けることです。少しずつ、半歩ずつで大丈夫です。とにかく昨日より少しでも前に進めたのなら、もうそれはあなたの勝ちです。

一人で不安なら誰かに頼っても良い、周りに頼れる人が居ないと思うなら、この白い兎に一声掛けても良い、どんな形であれ前へと進むことです。以前のうさぎでも言ったように「出来ない」は「可能性」です。

弱さを持った私達だからこそ強くなれる、歩く為の希望と勇気をどうか忘れずにいて下さいね。変わろうとする人がいれば私は何処へでも跳んで駆けつけます(╹◡╹)ニコッ。

苦しみは盲目を生み。盲目は認識を錯覚させる。──兎禾。

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